IE9ピン留め


混線
敷きたてのコンクリートを裸足で歩きながら
「これが、都会の楽しみ方ね。」と女。
「やけに今日はアウトサイダーだな。」と男。
「ついつい」と女。

 表現の奥底に思想がありその表現の一端に思想を読むことが日常ならば、純粋を望む者として、そこに発展や効果や誇張や演出があってはならぬことぐらい理解しているつもりである。禅の業者のように一個の袈裟と一着の衣と2、3冊の書物と剃刀と椀の一組だけをもって、米と野菜汁と漬け物を食して、日々を暮らしていくのもとても静謐で美しい。しかしながら、こうしながらもカマンベールチーズや生ハムに手が伸びながら荒てを挙げて笑い、ウイスキーを飲むのも一向に悪くない。
 在り方の矛盾が軽蔑される、或は揶揄の対象になるのは当然で、一言一音発したらペテンが香る。鬼気迫るもの、は、食に困るということが難しい今、貧乏は腰にかける布、帽子につける羽である。「極端な人間などいない」という言葉が示す一端である。
 目が見え耳が聞こえ、顔色がいい輩にどうして真が描けようか。病弱だから真が描けると貧困だから純であるという訳ではない。アウトサイダーなのだから情が引き立つ訳でもない。わんわん嘆き叙情という傘で雨露凌ごうという意として衝動が、抽象で言い切ることの逃げが、極端の在り方を装うのが、愚劣極まりないということだ。
 ならば、強かさを、自分の切迫している部分を自覚しているという意味での強かさを持って、形式やメトーデに悩む愚かさに餞を。
# by onsyosabi_nikki | 2007-01-13 03:27
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福西の日記

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